2006年の映画。ブラジル=ドイツ=ポルトガル=フランス合作。監督は
カリン・アイヌーという監督ですが、僕が本作を借りた理由は、制作に
ウォルター・サレス(ヴァルテル・サレス)の名がクレジットされていたからです。彼は素晴らしい傑作、「セントラル・ステーション」やロドリゴ・サントロ主演の「ビハインド・ザ・サン」、チェ・ゲバラを描いた「モーター・サイクル・ダイアリーズ」などの監督です。
本作は、サンパウロで暮らし、子どもを授かった21歳の女性が、生まれ育ったブラジル北東部の田舎町、イグアトゥに戻る場面から始まります。
僕はイグアトゥという町は知りませんでしたが、風景や地元の店で流れる音楽から、ブラジルで言う、
Sertao(セルタォン、セルタゥン)と呼ばれる、北東部の広大な乾燥地帯だな、と分かりました。カエターノとモレーノ親子にも"Sertao"という共作の曲がありますよね、静かで美しい曲です。
さて、その貧しい生まれ故郷に戻った主人公の女性なのですが、恋人は1ヶ月後にやってくる予定。しかし、結局、彼はずらかってしまったのですわ。そして、祖母とおばさんの暮らす家で、女だけで貧しい暮らしをするのですわ。
その主人公の名前がスエリーだと思っていたら、彼女の名は、何と
エルミーラ。じゃ、スエリーって、誰よ? と思いましたが、後に判明しました。
最初は、エルミーラはくじを売っていました。景品はウイスキーだ、と言って。でも自分が勝手にくじを作って、売ってるので、当然、非合法だとは思うのですが・・・。そのうち、彼女は何としてもこの貧しい田舎町から脱出したいと思うようになります。で、何と景品を「自分」にしてしまうのです。21歳の彼女と一夜を過ごせるっちゅうわけですわ。で、そのくじを売る時、
スエリーという名を語っていました。
映画は、とにかく乾いたタッチで淡々と描かれていて、驚かされます。昔の恋人とのセックス・シーンも実に淡々と唐突に描かれていて。
自分を景品にしてクジを売っていることもすぐに祖母の知ることとなり、こっぴどく叱られます。エルミーラはくじでぼろ儲けしたお金で町を出て、ポルトアレグレに行くことになるのですが、祖母は、子どもは置いていきなさい、と。
映画は、バスに乗り、町を出て行くシーン。そして、昔の恋人、ジョアンがバイクでバスを追いかけるも結局、戻ってきてしまうシーンで終わります。ジョアンのエルミーラに対する気持ちもバスの前方に回り込み、バスを止めてしまうほど強いものではないのだな、と思わせるシーン。
エルミーラは、ポルトアレグレに行っても結局、同じような生活を繰り返してしまうのではないか、と思ってしまいました。世界各国で22の賞を受賞したそうですが、監督は結局、何を言いたかったのか、僕にはよく分かりませんでした。ただ、湿気のない乾いた作風は、次作に期待ってところかな。
などと書いたところで、調べたらカリン・アイヌー監督、実はもう一作、観ていたことが判明。このブログにも以前書いた、「
フランシスコの2人の息子」でした。あまりにも違う作風に驚きです。
映画芸術Diaryというブログの
『スエリーの青空』灼熱の大地に刻まれたブラジル映画の現在という、興味深い記事を発見しました。