カーレド・ホッセイニという作家のデビュー作がアメリカで大ベストセラーになり、それを映画化したという
マーク・フォスター監督の映画。現代は"
The Kite Runner"。アフガニスタンの金持ちの坊ちゃん、
アミールと、その家の使用人、アリの息子、
ハッサンの友情とアミールのハッサンに対する裏切りと贖罪がメインの物語。
この映画ではソ連のアフガン侵攻前の緑が美しかった頃のアフガニスタンが描かれています。そして、印象的だったのは、多数派のパシュトゥーン人の、ハザラ人(テレビのニュースなどでもよく日本人に似ていると言われていた東洋系のマイノリティ)に対する差別意識。
ハッサンもハザラ人なのですが、彼は使用人の息子でありながらもアミールにもアミールの父、
ババにも差別はされていません。それどころか、まるで家族のようで、それほど大切にされていた理由も後半になって分かるのですが。
アミールは、ある日、年長の金持ちのパシュトゥーン人のドラ息子達にハッサンが殴られ、蹴られているのを目撃しますが、見ているだけで、助けることはできませんでした。その罪悪感が彼の心を苛み、そして、ハッサンを見る度に自分の弱さ、情けなさ、ずるさ、そういう事実に直面せざるを得ない、そんな環境から抜け出したかったのでしょう。
ハッサンと彼の父が外出中に、自分が父からプレゼントにもらった高級な腕時計をハッサンのベッドの枕元に隠し、ハッサンが時計を盗んだように見せかけるのです。そして、父ババがハッサンに問い質すと、何とハッサンは、「盗みました」と。この完全な使用人としての忠誠心には驚かされました。
そして、ババが許す、というのも聞かず、ハッサンの父アリは、「ここにいられる訳がない」と出て行ってしまいます。使用人としての誇り、潔さを垣間見て、かっこよかったです。そして、アミールのずるさ、弱さに心底、怒りを覚えました。
その後、ソ連のアフガン侵攻があり、アミールと父ババは、アメリカに渡るため、トラックに乗って国境を越えるのですが、途中、ロシア兵に銃を突きつけられながらも他のアフガン人を助けようとする父ババ。アミールの弱さとは全く違う威厳さ、人間としての誇りを感じさせ、好対照です。
アミールは、アメリカに渡ってからもハッサンに対しての罪の意識は消えることはありません。そんな折、少年時代、いろいろと気にかけていてくれた
ラヒム・ハーン(どういう立場の人かよく分からなかったのですが、父ババの友人なのかな?)から電話があり、アフガンに来るように説得されます。
タリバンが支配するアフガン。付け髭をして、地元民になりすますアミール。ラヒム・ハーンからハッサンと自分の真実を知らされ、ハッサンからの手紙を受け取りました。ハッサンは既にタリバンに殺されていたのです。ハッサンはアミールに対して恨み辛みの一言も書いてなかったのもすごかった。アミールに対しての友情溢れる文面です。
そして、ハッサンの息子がタリバンに囚われの身になっていることを知り、ここから急に緊張感溢れる展開に。そして、ハッサンの息子、
ソーラブを助け出し、この経験が彼を変えます。
アメリカに帰っても婚約者の父に対して、初めてズバッと自分の言葉で意見を述べ、ソーラブを養子にして、絶対に幸せにしてやろうという決意を感じさせます。亡くなった偉大なる父、ババも天国で喜んでいることでしょう。
邦題の「君のためなら千回でも」という言葉は、少年時代のハッサンがアミールに対して言った言葉です。凧揚げ大会で、相手の凧の糸を切って、その飛んで行った凧を追い掛ける、君のためなら千回でも走る、という意味ですね。ハッサンは、糸が切れた凧を追い掛ける才能に長けていたのです。
そして最後は、アミールがハッサンの息子、ソーラブに対して、同じ言葉を放ちます。エンディング・クレジットが流れる直前、丘の上に立つソーラブ。彼の明るい未来を想像させるエンディングです。
公式サイトもまだ、ありました。